アコギ1本弾き語りシリーズ! 「目覚めた時には晴れていた」をアップ!
アコギ1本弾き語りシリーズ! 「目覚めた時には晴れていた」をアップ!
このシリーズ、「伝書鳩、ビリー・バンバン」の「目覚めた時には晴れていた」(1976)をアップします。
このシリーズ、「伝書鳩、ビリー・バンバン」の「目覚めた時には晴れていた」(1976)をアップします。
ビリー・バンバンは、かなりお兄さん的なデュオで、リアルタイムではあまり聞くことがありませんでしたが、ここ最近「また君を愛してる」や焼酎のコマーシャルソングなどを聞くにつけ、いいなあと思っていたところです。
でも、この曲は随分昔の曲で、リアルタイムでも聞いていたので記憶にあり、心から離れない曲となっていました。当時ビリー・バンバンにはもっと流行った曲もありますが、今回アップしたこの曲は、テレビのドラマに使われていた曲ということです。他人事のようにいっているのは、ドラマの印象が殆どないからです。
そして、この曲は「伝書鳩」というグループが歌っていました。荒木とよひささんが作ったグループとのことです。
また、この曲は、作詞が阿久悠、作曲が坂田晃一であり、詞・曲ともに日本を代表する方が若い時代につくられた貴重な曲と言えるのではないでしょうか。
「目覚めた時には いつでも晴れてる」
何気ない一行ですが、それが「あなたとわたしの愛の暮らし」の目覚めですから、「いつでも晴れてる」ということになるのですね。
何気ない一行ですが、それが「あなたとわたしの愛の暮らし」の目覚めですから、「いつでも晴れてる」ということになるのですね。
「この手のひら こう重ねて 愛と愛をつなぐの」
いいですねー。愛を確かめ合うために、重ね合う手と手…。わたしなんぞの凡人では、なかなか思い切っては表現できないものがあります。(恥ずかしくて…)
いいですねー。愛を確かめ合うために、重ね合う手と手…。わたしなんぞの凡人では、なかなか思い切っては表現できないものがあります。(恥ずかしくて…)
「だから雨も だから風も しらない目覚めよ」
たとえ雨が降ろうと、風が吹こうと、そんなことに気づきくこともなく二人の朝が明けていく、という感じでしょうか。
たとえ雨が降ろうと、風が吹こうと、そんなことに気づきくこともなく二人の朝が明けていく、という感じでしょうか。
しかし、2番では愛するがゆえの苦しみについて触れています。
「あまりに愛して あまりに信じて 息苦しくなる あまい嘆き」
愛すればこそ湧き出す苦しみがあるのです。そうです。愛はただひたすらに与え続けるものであるべきなのに、やがて、相手にも愛を求めてしまうのです。そこから苦しみが始まります。
愛すればこそ湧き出す苦しみがあるのです。そうです。愛はただひたすらに与え続けるものであるべきなのに、やがて、相手にも愛を求めてしまうのです。そこから苦しみが始まります。
不信、嫉妬、過剰な愛への嫌悪…
「この唇 こう重ねて 愛と愛をかよわす」
この一行は、書いていても頬が赤くなりますが、阿久悠さんも若かったのだと思います。このようにストレートに表現できることがすごいと思います。
この一行は、書いていても頬が赤くなりますが、阿久悠さんも若かったのだと思います。このようにストレートに表現できることがすごいと思います。
このように、二人の愛の物語をある意味赤裸々に表現されたこの曲ですが、高校2年生のわたしにとってはかなり刺激的だったはずです。しかし、そのような記憶が殆どありません。むしろ、今改めて歌詞を読んで、ストレートな表現に驚いているようなものです。
ですから、この曲が記憶から離れないのは、歌詞もさることながら、メロディの力による所が大きかったということになろうかなと思います。
いわゆる、坂田節は「さよならをするために」「冬物語」「もしもピアノが弾けたなら」など心に沁みるものが多く、「おしん」のテーマも彼によるものでした。
演奏上は、原曲通り「口笛」で前奏と間奏をやりましたが、お粗末極まりなく、大変申し訳ありません。ギターの演奏的には、「dimコード」がたくさん出てきて、そこが「切ない歌」としての大きな魅力となっているのではないかと思います。今後の作曲の大いなる参考とさせていただきたいと思います。
演奏の難易度的には、わたしの力量に合っていたかなと思います。
今後も、無理をせずに継続していけたらと思っております。(^_^;
今後も、無理をせずに継続していけたらと思っております。(^_^;
それでは、次回をお楽しみに!
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