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アコギ1本弾き語りシリーズ! 「初夏」をアップ!

アコギ1本弾き語りシリーズ! 「初夏」をアップ!
 
このシリーズ、「ふきのとう」の「初夏」(1975)をアップします。


何と言っても今の季節にぴったり!ということでこの曲をセレクトしました。
 
ちょうど、高校1年生でした。この頃、北海道へのリュックを背負ったいわゆる「カニ族」と呼ばれる若者の旅行が、爆発的に流行っていました。そういう私も、大学1年生の時に、友人と二人10日間での北海道1周旅行を決行しました。若者達は、もちろんお金がありませんので、公園や駅などで寝泊まりしたのですが、私たちもそのような場所で過ごしました。
 
その頃、旅行と共に、札幌出身の「ふきのとう」というデュオも流行り、ギターの弾き語りで彼らの歌をよくうたいましたが、中でも「白い冬」や「初夏」は大変印象深く心に残っています。
わりと、ロマンチックな少女趣味的な曲も多い中、この曲は素朴で心にぐっと響いてきた記憶があります。
 
「噴水の前で 記念写真を 撮っているのは 新婚さんかな」
夏の大通公園の様子が目に浮かびます。そして、醤油をつけて焼いたトウモロコシを頬張っている人々の中に、私もいたのです。
 
「時計台を見て たむろしている 大きなリュックの 黒いカニ族」
札幌のシンボルに「時計台」はかかせません。当然、その周りに若者が群がっていたことでしょう。黒い「カニ族」は特に悪いことをするわけではありませんが、地元の人にしてみれば、あまりお金を落とすことも期待できない、歓迎すべき人々ではなかったのでしょう。
 
「夏の初めの 昼下がりは とても馴じめず 淋しくなる」
日差しがだんだん強く降りそそぐ、いわばこれから最高に明るく輝き出す季節は、若者にとっては晴れがましく、素直に身をさらすことにひけめを感じるステージなのかもしれません。そして、そんな自分が少し歯がゆい…そんな感じでしょうか。
 
「僕は地下鉄の電車を待ってる センチメンタルに 浸った振りして」
私の最も好きな一文です。これもまたいかにも若者らしさを表しています。素直に表現することに面はゆさを感じ、照れ隠しで眉間にしわを寄せて、何かしら思いに耽っている振りをしてしまう。…わかりますねー。
しかし、何だったのでしょうね。
 
さて、演奏的にはストローク中心で、ギターの小細工はほぼありません。だからこそ、結構なアップテンポでストロークし続ける難しさがあります。かくいう私の演奏も、だいぶテンポが不安定であり、演奏後は体力を消耗して、へとへとになりました。
 
とにもかくにも、これでこのシリーズ40曲のアップを達成したことは、何よりの喜びであり、達成感も若干感じております。
 
今後の行方について、確たる計画はありません。できれば、しばらくお休みをいただきたいと甘い考えすらあります。
 
また、「アコギ1本」を続けるか、少し演奏を工夫してみるかなどといろいろ思案しているところでもあります。
 
まあ、「勝手にやってろ!」と言われそうですが、しばらくお待ちいただき、今後の身の振り方を示したいと思っております。
 
それでは、次回をお楽しみに!

「退職日記 003」 5/28

「退職日記 003」 5/28
 
・定年退職の日、4/1から約58日、4月5月と約2ヶ月が終わろうとしている。この5月の1ヶ月は、4月に比べると過ぎ去るのが早かった。コロナ禍で外出もままならなかったものの、何かに追われる様に過ごしていたような気がする。だから、「暇だなあ」と感じることは全くなかった。
 
・時間はたっぷりあるものの、日記を書く時間に余裕があったわけではないが、「想ひのままに」と名付けた日記用のノートは確実に1日2ページ分を消費してきた。2ページのうち、左ページには、ほぼ毎日TODOリストを作り、やるべきことをやり残しのないようにチェックしてきた。その際、思いつくままに新たなTODOを書き加えたため、現在も全てをやりきることなく先延ばししながら、日々チェックが続いている。そのためか、自分なりに「充実している」と言える毎日が繰り返されたと思う。反面、消化不良の日々とも言える。
 
・さて、目指すところの「遊暮人」としての達成度はどうか?
 
★「遊」の達成度:60%
・フリーとなってやりたいことのNo
1は「旅行」であった。しかし、緊急事態宣言が出されたことにより、県外はもちろん、近所にさえ外出するのが気が引けた。だから、「旅行」が頭をかすめることすらなかった。ただ、ようやく緊急事態解除の兆しが見え始めた5月も終盤の22日に、気晴らしをかねて「十和田湖」へのドライブを決行しようとした。しかし、滝ノ沢という湖の入り口のあたりの山道が通行止めになっていたことと、周囲に霧が立ちこめて景色が見えなかったことにより、そこで引き返すこととなってしまい、目的を完遂できなかった。
 
・やりたいことのNo2はライブ、コンサートであるが、これもまったく手も足も出せなかった。さらに、6月13日の「遊稲の館」でのイベントも会場の都合で中止になるなど、6月のコンサートも危ういかもしれない状況である。
 
・ただし、やりたいことNo3の「YouTubeへの動画のアップ」は、「アコギ1本弾き語り!」シリーズを5月末で40本のアップを達成できそうである。1日1本とはいかないが、3日で2本を達成できたことは我ながらよくやったと思う。そのことから、達成度を60%とした。
しかし、今後は、「アコギ1本」にこだわらず、「DTMでの重ね録り」や「ピアノ1本弾き語り」にも挑戦したいと思っている。
 
・とにもかくにも、「弾き語り日本一周の旅」の夢を実現するためにも、早く自由に旅行ができる状況が訪れることを祈りたい。
 
★「暮」の達成度:0%
・やろうとしたことはたくさんあったが、結論から言うと、収入はまったくの0円である。2ヶ月間まったく無収入はさすがにこたえた。だからといって心が荒れるほどではなかったが…。
そこで、生まれて初めてのハローワーク訪問を行った。自分にできそうな、教育関係のパートを2件ほど見つけたが、仕事内容の照会により、自分にはとてもこなせないハードさを知り、断念した。
 
・今後、コロナの影響から、教育現場での臨時講師やパートなどの増加が予想されるので、できれば少しでも貢献して収入につなげたいと思っている。
 
・収入0円から、達成度0%とした。
 
★「人」の達成度:10%
・これは、大きく、①社会への貢献、②家族への貢献、③自分の心や体の健康④人間としてのスキルアップを考えている。
 
・②について、家事の手伝いは少しできていたと思うし、庭の草刈りにも手を付け、今後も継続しようと思っている。④として、現在受けているピアノとギターの動画レッスンにも、もう少し力を入れなくてはと反省している。
 
○総評
・5月は、コロナに支配されるところが多く、制約があったものの、全体的にはやるべきことを自分で整理しつつ、やれることをこなしてきたため、悔いはない。今後、6月に入ると、コロナからの制約も減り、気候もよいので、さらに「遊」の部分を充実させたいと胸膨らませている。
 
・特に、「旅行」「コンサート」そして、それらとあいまっての「暮」への取り組みもしっかりやりたいと思っている。「遊」が「暮」に直結し、人生を楽しみながら、わずかながらでも収入が得られたら、これ以上の喜びはない。
老いに負けないように、「3つのC」を大切に過ごしたい!
※「3つのC:チャンス、チャレンジ、チェンジ」

アコギ1本弾き語りシリーズ!「ロードショー」をアップ!

アコギ1本弾き語りシリーズ!「ロードショー」をアップ!
 
このシリーズ、「古時計」の「ロードショー」(1976)をアップします。
 

そのタイトル通り、映画館での出来事をモチーフに、二人の愛の終わりを描いた、叙情フォークの傑作と思います。
 
「映画館のロビーで あなたの笑顔を見てしまいました 私にではなく 誰か知らない人に注ぐ微笑みを」
まあ、このような偶然があるかどうかはわかりませんが、起きてしまったとしたら、大変な衝撃でしょうか。それとも、以前から予想された出来事だったのでしょうか。いずれにしても、パンフレットを持つ手が震えたとあります。
 
「ベルが鳴っています 私の愛をおびやかすように 明かり消えました 泣いてもいいと教えるように」
映画館のベルや照明が見事に小道具として使われ、物語を進めています。巧みです。
 
「幕が閉まります あなたの愛も終わりでしょうか 明かりともります 私一人を映し出すように」
さらに、幕や照明が物語のクライマックスを彩る様に大変効果的に使われております。
 
「映画館の外には いつものざわめき 見慣れた街角 あなたと私に続く物語だけ今は大事です」
私がもっとも気に入っているのは、この最後の一節です。普段と変わらない街の音や風景が、何よりも寂しさを感じさせるものなのだと思うからです。
 
竹内まりやの「駅」には、
「改札口を出る頃には 雨もやみかけたこの街に ありふれた夜がやってくる」という一節があります。
自分にとって今起こったことがどうであろうと、そんなことには構うことなく街はいつも通りの時間の流れを映し出している、というこの表現が究極の寂しさなのだと思われるのです。
 
この曲については、好みが別れるかもしれませんが、素直に曲のストーリー展開とその表現の巧みさに感動しつつ、切ない恋の終わりを自分の恋とも重ねていた記憶が甦ります。
 
前奏はピアノで演奏されていますが、ギターでアレンジしてみました。また、間奏もギター用にアレンジしましたが、なかなかうまくできていないなあと思いつつアップしてしまいました。
 
気がつくと、5月のアップが19曲となり、我ながらよくやったと思っております。もちろん、20曲達成を目指します!(このシリーズトータルで40曲となります!)
 
それでは、次回をお楽しみに!

アコギ1本弾き語りシリーズ! 「無縁坂」をアップ!

アコギ1本弾き語りシリーズ! 「無縁坂」をアップ!
 
このシリーズ、「グレープ」の「無縁坂」(1975)をアップします。

 
さだまさしワールドの代表曲です。「ひまわりの詩」というドラマの主題歌とのことですが、例によってわたしにはドラマの印象がありません。
 
「無縁坂」は実在し、東京都台東区の「無縁寺」に続く坂の名称とのこと。詳しい由縁はわかりません。
まだ、23才のさださんが母を思って作られた曲です。現在、60才のわたしこそが、しみじみとこの詞の意味を噛みしめられる年頃になりました。
 
もちろん、23才の若者にとっての母への愛も変わらぬものであることは間違いありませんが。
近頃めっきり父母が老いてきたと感じるのは同年代みな同じではないでしょうか。
 
「母がまだ若い頃 僕の手をひいて この坂を上るたびいつもため息をついた」
まだ若い母親を想像する時、もちろん記憶の中にある母とともに、アルバムの中にいる母を思い出すのではないでしょうか。まだ、娘だった頃の母だって存在したのです。と思うと何だか恥ずかしい気持ちにすらなります。
そんな母が小さな手を引いて二人で坂を上っている。今の若いお母さんの様子に重ねてみますが、当時の厳しい時代背景とともに、必死に生きていた母が思われます。
 
「忍ぶ 不忍無縁坂 かみしめる様な ささやかな僕の母の人生」
自分の母だからこそ「ささやかな人生」と言えるのだろうと思いますが、しかし、まさしくそのように思えてくるのは、老いて小さくなった母をみるからでしょうか。
 
「母はすべてを暦に刻んで 流してきたんだろう 悲しさや苦しさはきっとあったはずなのに」
「暦に刻む」という表現がすごいですね。もちろん「悲しさや苦しさ」がないはずがありません。
しかし、今こうして自分も親になるとそれ以上に「あなたと過ごした幸せのほうが大きかった」というのが本当だと思います。
 
「親思う子 子思う親」どちらもその愛は決して切れることも逃れることもできない運命でつながった絆なのです。
 
ギターの演奏は少しアレンジを工夫してみましたが、いかがでしたでしょうか。演奏の難易度はそれほどでもありませんでしたので、撮り直しは今までで一番少なかったようです。
 
次回もそんな風にできたらいいなあ、('_')(期待に胸膨らむ顔…)
 
それでは、次回をお楽しみに!
 

アコギ1本弾き語りシリーズ! 「目覚めた時には晴れていた」をアップ!

アコギ1本弾き語りシリーズ! 「目覚めた時には晴れていた」をアップ!
 
このシリーズ、「伝書鳩、ビリー・バンバン」の「目覚めた時には晴れていた」(1976)をアップします。

 
ビリー・バンバンは、かなりお兄さん的なデュオで、リアルタイムではあまり聞くことがありませんでしたが、ここ最近「また君を愛してる」や焼酎のコマーシャルソングなどを聞くにつけ、いいなあと思っていたところです。
 
でも、この曲は随分昔の曲で、リアルタイムでも聞いていたので記憶にあり、心から離れない曲となっていました。当時ビリー・バンバンにはもっと流行った曲もありますが、今回アップしたこの曲は、テレビのドラマに使われていた曲ということです。他人事のようにいっているのは、ドラマの印象が殆どないからです。
 
そして、この曲は「伝書鳩」というグループが歌っていました。荒木とよひささんが作ったグループとのことです。
 
また、この曲は、作詞が阿久悠、作曲が坂田晃一であり、詞・曲ともに日本を代表する方が若い時代につくられた貴重な曲と言えるのではないでしょうか。
 
「目覚めた時には いつでも晴れてる」
何気ない一行ですが、それが「あなたとわたしの愛の暮らし」の目覚めですから、「いつでも晴れてる」ということになるのですね。
 
「この手のひら こう重ねて 愛と愛をつなぐの」
いいですねー。愛を確かめ合うために、重ね合う手と手…。わたしなんぞの凡人では、なかなか思い切っては表現できないものがあります。(恥ずかしくて…)
 
「だから雨も だから風も しらない目覚めよ」
たとえ雨が降ろうと、風が吹こうと、そんなことに気づきくこともなく二人の朝が明けていく、という感じでしょうか。
 
しかし、2番では愛するがゆえの苦しみについて触れています。
 
「あまりに愛して あまりに信じて 息苦しくなる あまい嘆き」
愛すればこそ湧き出す苦しみがあるのです。そうです。愛はただひたすらに与え続けるものであるべきなのに、やがて、相手にも愛を求めてしまうのです。そこから苦しみが始まります。
不信、嫉妬、過剰な愛への嫌悪…
 
「この唇 こう重ねて 愛と愛をかよわす」
この一行は、書いていても頬が赤くなりますが、阿久悠さんも若かったのだと思います。このようにストレートに表現できることがすごいと思います。
 
このように、二人の愛の物語をある意味赤裸々に表現されたこの曲ですが、高校2年生のわたしにとってはかなり刺激的だったはずです。しかし、そのような記憶が殆どありません。むしろ、今改めて歌詞を読んで、ストレートな表現に驚いているようなものです。
 
ですから、この曲が記憶から離れないのは、歌詞もさることながら、メロディの力による所が大きかったということになろうかなと思います。
 
いわゆる、坂田節は「さよならをするために」「冬物語」「もしもピアノが弾けたなら」など心に沁みるものが多く、「おしん」のテーマも彼によるものでした。
 
演奏上は、原曲通り「口笛」で前奏と間奏をやりましたが、お粗末極まりなく、大変申し訳ありません。ギターの演奏的には、「dimコード」がたくさん出てきて、そこが「切ない歌」としての大きな魅力となっているのではないかと思います。今後の作曲の大いなる参考とさせていただきたいと思います。
 
演奏の難易度的には、わたしの力量に合っていたかなと思います。
今後も、無理をせずに継続していけたらと思っております。(^_^;
 
それでは、次回をお楽しみに!