徒然記(ブログ)

徒然記カテゴリ:想ひのままに / 弾き語り / 曲を創ろう
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外出制限を充電期間=スキルアップに!

外出制限を充電期間=スキルアップに!
 
コロナで外出が制限されています。定年退職と相まって、家に居る時間が有り余るほどできました。特に、仕事をしていた今までは、休みの土日にしか出かけることができませんでした。今後は、混み合う土日を避け、外出は極力平日にすることにして、土日は家にこもることを逆手にとって、いろんなスキルをアップする「充電期間」としたいと思います。
 
これまで趣味としていろいろとやってみようと解説本を買い集めましたが、まともに読み切った本は殆どなく、100冊近い解説本が本棚に並んでいます。
 
また、最近はYouTubeでいろいろなことへの動画での解説が花盛りで、大変わかりやすく、勉強するには持って来いの環境です。
 
さて、何をスキルアップするか。
 
まずは、ギターのレベル、弾き語りのレベルアップを目指そうと思います。もしも、コロナ騒ぎが無ければ、今頃は、第2の人生の「遊」としての大きな目標である、「旅行」と「ギター弾き語り」を融合させた、「日本全国弾き語りの旅」に出ていたかも知れません。
 
「旅行」は無理なので、何とか弾き語りのスキルアップを目指し、来たる日の弾き語りの旅、路上ライブの力を蓄えようと思います。そして、その成果を「YouTube」で試す!
 
つまり、「アコギ1本弾き語りシリーズ」を開始し、YouTubeに発表することで、ギターだけの伴奏で完結できるレパートリーを1曲でも増やし、「日本全国弾き語りの旅」「路上ライブ」に備えようと思っています。
 
そうなると、動画撮影のスキルや動画編集、音声編集のスキルアップも必要です。ということで、さまざまなことをまた一から勉強し直す良い機会にしたいと思っています。
 
いつまで続くかわかりませんが、「鉄は熱いうちに打て」です。冷めないうちに、力を付けないと!

DSR(断捨離)の4日間

DSR(断捨離)の4日間
 
4月1日から今日4月4日で定年退職後の4日間が過ぎました。
日々何をして過ごそうかなどと考えていましたが、これまで「想ひのままに」というノートを書くことが習慣となっており、日記の他に、するべきことやしたいことを書き出して、それに沿って行動しました。
そして、何よりもまずしなくてはならないことがDSR(=断捨離、しかし、これは私が勝手にイニシャルを取っただけの言葉ですので)であることが明確に見えてきました。と言うか、これまでよくもまあ逃げてきたなあとつくづく思いました。
 
気がつくと、4日間は自分でもこれほど充実した日々は無いと思えるような過ごし方でした。
コロナウイルスで外出もままならない日々であり、殆ど外出することも無く、やっていたことは、
①引っ越しの荷物整理
②本や雑誌のDSR(断捨離)
③衣類のDSR(断捨離)
この3つがメインでした。
 
①はこれまで職場に置いていたものを家に持ってきたので、それらをどこに納めるかが問題です。もちろん、家に余裕がある訳も無く、そうなると今あるものをどこかに片付けるか捨てるしかありません。粗大ゴミに捨てたり、幸いに、車庫の2階が空き部屋で隠れ家にしてあるので、そこに運び入れることにし、その部屋の片付けをしてスペースを作り、そこに荷物を運び入れました。
 
②はとにかく、本棚を開けることを目的に行いました。音楽関係の雑誌や仕事関係の資料本など、さらに、その他の雑紙をどのように処理するかです。まずは、ブックオフで買い取ってもらいました。それ以外は、近所のスクラップセンターで雑紙として買い取ってもらうことにしました。
ブックオフでは、文庫本・単行本で10~20円ほど、雑誌は5~10円、たまに、100円で売れるものもありますが、新しいものが売れるようです。
売れない本が半分ほどで、それは自分で引き取ります。引き取った本は、10㎏あたり6.5円のレートのスクラップセンターに持って行き、雑紙と一緒に売りました。このスクラップセンターが近所にあることは大変ラッキーです。それでも、ブックオフとスクラップセンターで、トータルで4,000~5,000円ほどにはなりました。ちなみに新聞紙と段ボールは10㎏あたり10円で高いです。
 
③は38年間の衣類の中から使わないものを捨てることだけを考えて、ゴミ袋に入れていき、約8個ほどになりました。特に、下着が多く、靴下やYシャツ、スラックス、背広、ネクタイなどを捨てる準備ができました。
 
さらに、身の回りの細々したものを整理しながら、4日間が過ぎ、ようやく一段落しました。
 
やり終えて、とにかく気持ちがすっきりしました。これまでも、休日に少しずつやってきたものの、このように十分に時間をかけて納得いくまでやれたのは、定年退職のおかげです。また、定年退職はDSR(断捨離)をするための気持ちの切り替えや心意気を高めるとてもよいチャンスとなりました。
 
ただし、他人から見たら、まだまだ十分とは言えず、捨てるものは余っていると言われるかも知れません。今後、追々やっていくつもりです。
なぜなら、何より、自分が一番気持ちが良いのですから。

4/18のコンサート中止のお知らせ!

4/18のコンサート中止のお知らせ!

大変急で申し訳ありませんが、4/18に予定しておりました、黒石松の湯交流館での

atomソロコンサートを中止といたします。

一向に改善や収束の兆しもなく、悪化する一方の新型コロナウイルスの影響をかんがみ、

コンサートを中止することとしました。

合わせて、カルチャーセンターでの講座など、4月5月のイベント等は一切中止することとしました。

とにかく、今は皆様のご健康を心よりお祈りいたします。

 

 

 

定年退職の日!

  • 2020/03/31 21:33
定年退職の日!
 
3月31日はいつも通りの朝でした。そして、いつも通り出勤しました。ただし、明日からここにいることは許されないので、最終的に自分の痕跡を残らず消すことに落ちが無いように努めました。
さらに、ここに居るうちにしておくべきことにも思いを巡らし、できる限りのことをしました。
と、言いきるほどのことも無いのですが。
 
昼は、近所の食堂が休みとのことで、店屋物をとることもできず、残っていたカップ麺で終わらせ、自家用車に荷物を積み込みながら、我ながらだらだらとものであふれさせてしまったことを後悔しながら、ほぼほぼ最後かなと思ったら、退勤時間よりも2時間ほど早く帰れそうで、時休を2時間もらい、残っていた皆さんに見送られながら、帰路につくことができました。
 
帰り際、今朝母から「お世話になった校舎にもきちんとお礼をしなさいね。」と言われた言葉を思い出し、校門付近で車を止め、校舎をバックに写真を撮り、両手を合わせてお礼を言って校門を抜けました。
 
と、最後の勤務を終え、今どんな感情が自分の中にあるかというと、「やり終えた満足感、否、その反対の後ろめたさ」「通い慣れた職場を去る寂しさ」「明日からの生活への期待や不安」というような、「満足感や後ろめたさ」も「寂しさ」も「期待や不安」もない、「何も無い感情」があると言った感じでした。
 
帰宅し、夕食時には、ノンアルでは無く、500CCのビール(発泡酒でもありません)を飲みました。家内とお疲れ様でしたとの乾杯をして。さらに、お別れにいただいた日本酒も1合ほど飲み、少し酔いました。
 
ただそれだけで、いつも通り、9時には2階に上がり、この日記を付けているという状況です。
もし、コロナ騒ぎが無く、体も健常であれば、今頃、飲み屋街にいたかな?とも思います。しかし、実際は至って静かな夜を過ごし、感情に盛り上がりも感傷も無く、静かな眠りにつこうとしています。
 
教育愛や人間愛などということにほど遠い人間だからそうなのだろうとも思いますが、それなりに、いろいろと苦労もあった日々で、とても待ち遠しかった定年の日なのに…。38年間の勤め、教員生活を終えたというのに、自分でも不思議に心が平静です。
 
と言うことを、ご報告いたします。
 
いずれにしても、いよいよ私の「遊暮人」の生活が始まります!ハイ!

「何にも無い」ことが「幸せ」!

「何にも無い」ことが「幸せ」!
 
極めて私事ですが、退職まで、残り9日となりました。世の中は新型コロナウィルスへの対応等で騒がしい毎日ですが、この季節「人事異動」の時季でもあります。
 
この春、めでたく?定年退職を迎える自分にとって、同職の方々の異動は達観?して見ていられるものの、同じ定年退職者の異動は気になるところであります。再任用や天下り的な異動の記事を見ると、心が揺れます。なぜなら、私には4月1日からの仕事に何のあてもないからです。
 
つまり、4月1日からは、一切のフリーとなるのです。仕事として、何の制約も受けることなく、全く自由な日々が始まるのです。何とすっきりしているのでしょう。これまでの人生で、こんな風に自由になることは一度もありませんでした。
 
代わりに、収入となる仕事のあても、一切無いと言うことになります。だからといって、明日から路頭に迷うことはありませんし、細々と食べていくことぐらいは何とかなりそうです。
 
考えてみれば、こんな、「何にも無い」生活は望んでもできるものではありません。今までそれなりに勤め上げた自分への、神様からのご褒美なのかも知れません。
 
「何にも無い」ことが「幸せ」!
と考えることにします。
 
もちろん、「遊暮人」(ゆうぐれびと)の生き方からすれば、「遊」であるやりたいことは山ほどあります。また、「暮」である生計を立てる方法については、今後開拓していく楽しみもあります。
 
ですから、「ひねもすのたりのたり」(「春の海 終日のたりのたりかな 与謝蕪村」)と暮らすことは難しいかも知れません。しかし、しばらくは「何も無いことの幸せ」を味わいたいと思います。