想ひのままに

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「名言」「言霊」「パワーフレーズ」

  • 2019/11/25 20:45
「名言」「言霊」「パワーフレーズ」
 
私は文字を書くことが好きで、父親の文字や小学校や中学校、高等学校の先生の書いた文字など、自分の好みの文字を真似して書くことが多かったです。また、近所に小学校の校長先生で、書道の先生をしていた方が安い月謝で習字を教えてくれていたので通ったこともよい経験だったと思います。(もちろん、当時はサボることの方が多かったのですが)
 
「三つ子の魂百までも」というように、子供の頃から自然と書道に親しむ環境があったので、60歳になる今でもことあるごとに、筆で文字を書いています。
 
そんな私にとって忘れられない筆で書かれた文字が「忍耐」という言葉でした。野口英世さんの木彫りの額のようなものを部屋に飾っていたり、小学校の教頭先生がサイン帳に書いてくださった文字が「忍耐」だったからのようです。
 
その後、「忍耐」を含む「忍耐は苦し、されど、その実は甘し」という言葉に出会い、いわゆる、「座右の銘」と言われるさまざまな「名言」に惹かれるようになりました。
 
さらに、このような言葉の持つ力が「言霊」(ことだま)と言われることや「パワーフレーズ」という言葉を知るようになり、自分の経験と照らしたり、今後の生き方を考える上で、その力が導く力強さを感じることが多くなりました。(宗教とは関係がありませんので、誤解のないように)
 
仕事柄、若い方々と接することが多いので、これまでこれらの「名言」が今日まで語り継がれてきた不思議な力を伝えたいと思うようになりました。そして、若い方々に話す機会には、そのような「名言」の意味とそれにまつわる自分の経験を音だけでなく書で書いた文字で示すようにしています。
 
「名言」「言霊」「パワーフレーズ」この3つはそれぞれ別の意味があるかも知れませんが、これから、私にとっての「パワーフレーズ」として、皆さんにも紹介していきたいと思っています。
何かの参考になれば幸いです。

54歳、自力集客初ライブ

  • 2019/11/20 20:17
54歳、自力集客初ライブ
 
ライブをするには会場が必要です。いよいよ、自力で集客してライブを行う会場探しをしなければなりません。しかし、ド素人なので、ライブハウスに出る勇気はありませんでした。(今でも、ライブハウスには行けませんが)
そこで、弘前市という小さな街で何とかライブをさせてくれる所はないかと探し回りました。
公民館、公共施設、喫茶店やカフェ、レストラン、老人施設、スナックなど。まあ、良くもまあ恥ずかしくもなく回れたものだと我ながら思い出されます。
 
その中で、弘前市百石町展示館という場所で、絵画や様々な工芸品などの作品や商品の展示の他、セミプロやプロのピアノやジャズのコンサートが行われる会場を見つけました。ここも、大分勇気が必要でしたが、素人でもお金を払うと会場を使えるとのことで、2014年5月24日(土)テーマ:「懐かしいフォークソングをもう一度! by atom」で コンサートを行う予約をしました。入場料は無料です。かかった経費は、会場の他備品の使用料も含め約3,000円ほどです。もちろん、自腹ですが、この値段で自分だけのオリジナルコンサートができるのは大変な魅力でした。
 
約1ヶ月半ほど前に、PCでチラシをつくり、めぼしい所を自力で開拓して、10カ所ほどにチラシを置いてもらいました。でも、親類縁者には知らせず、ごく近しい友人と家内に会場設営を手伝ってもらい、14:00からの開演を迎えました。
 
そして、何と予想を遙かに上回り、約70人ほどの方が集まってくださいました。その中には、弘前市障がい者生活支援センターのライブにお出でいただいた方々も多くいらっしゃいました。その他、初めての方も多く、自分よりは先輩で女性の方が多かったです。これは、この後も同じような傾向です。
 
そして、約2時間で20曲ほどのフォークソングやニューミュージックを歌い上げることができました。
「神田川」「あの素晴らしい愛をもう一度」「岬めぐり」「精霊流し」「22才の別れ」など、フォークソングの王道を歌いました。この頃はまだオリジナル曲を歌う勇気はありませんでした。
 
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 コンサート後に話しかけてくださる方もいらっしゃり、その中には、別の会場でのコンサートに誘ってくださったりとか、後に講師を引き受けることになった、ヨークカルチャーセンター弘前の店長さんからの誘いもありました。驚くことに、ギターを教えて欲しいという方もいました。とにかく、予想以上の反響と収穫の多い、自力集客初ライブでした。
 
「迷っていたら行動せよ!その勇気が人生を切り開く!」

これは、自分の経験から生まれた言葉です。そのことを実感した体験でした。それ以来、ライブ活動に限らす「何事もまずやってみる!」という生き方に自信が持てるようになったと思います。

趣味について

  • 2019/11/19 20:52
趣味について
 
「好奇心旺盛」、といえば長所なのだろうか?
「熱しやすく冷めやすい」、これはどうか?
「好奇心旺盛」と「熱しやすく冷めやすい」は、いずれも私の特徴と言えます。そのため、これまでたくさんのことに、首をつっこみ(よく言えば挑戦し)、冷めやすいのですぐに別のものに首をつっこむを繰り返してきたように思います。自分以外の皆さんにとってはどうでもいいことですが、私にとっては歴史とも言えることなので、簡単に年齢別に、首をつっこんだことを記録しておきたいと思います。
 
1.20代後半~40代
仕事との関係もあり、パソコンに随分お金をかけました。NEC9801シリーズを買い、ワープロ、表計算、ゲームなどに使いました。また、BASICのプログラミングにも取り組み、簡単なソフトを作ったりして楽しんでいましたが、ワープロは専用機の便利さにかなわず、富士通のオアシスやカシオのダーウィンに乗り換えました。
ただ、PCではビデオ編集に凝り出して、ソニーのVAIOの上位機を買うなどして、VHSテープに作品をダビングして配布したりしました。また、子供が生まれた頃をきっかけに、8mmビデオ撮影にも取り組み、編集作業にも熱中しました。
また、PCと音楽ということで、DTMの存在を知り、いろいろ調べたりしたものの、まだまだ、PCの性能が追いつかず、一般庶民には縁遠い高価な機器が必要でした。
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2.40代
やはり仕事との関係から、カメラにもお金をかけました。デジタル一眼レフの走りである、NikonのD100を30数万で購入し、交換レンズなども多少そろえました。景色の他に、植物撮影にも懲り、マクロレンズなどもそろえました。さらに、その写真をもとに、はがき絵を描くことも始めました。それまで、絵を描くことは苦手でしたが、写真をもとに描くと、何だか上手になったような錯覚に陥り、随分風景を描きました。また、さらに植物に関しても名前を覚えることで楽しくなり、図鑑や植物観察会に出かけたりして、知識を得ました。そのことと、春の山菜採りが結びついて、随分タラの芽を収穫したものです。今でも、春の野山で花を見つけたり、タラの芽を収穫することは続いています。
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3.40代後半~50代
やはり、年齢と共に仕事が少し楽になり、土日もしっかり休めるようになったことから、爆発的に趣味の世界が広がりました。アウトドア系としては、自転車、車中泊、一人キャンプ、バイクに目覚めました。
自転車は、マウンテンバイクを当時10万円ほどで購入し、走り回りました。また、キャンプ場での一人での車中泊も楽しみました。当然、テントを張ったキャンプも一人で出かけ、今でいう、一人キャンプにも随分お金をかけたものでした。そして、48歳で憧れの中型の自動二輪の免許を手にし、単独で90CCや125CCのバイクで野山を走り回りました。さらに、大型二輪の免許も取得し、憧れのW650に乗ってツーリングを楽しみました。…が、ある日、このバイクでの転倒により、鎖骨骨折、入院1ヶ月を余儀なくされ、バイクからは徐々に離れていきました。
 
これらのアウトドアの趣味と並行して、木工への興味も高まり、ルーターやトリマーなどの電動工具を使ったりする技術が楽しく、下手な作品を作りました。本棚や棚は今も我が家で使っています。
さらに、22歳から封印していた音楽への挑戦も開始し、クラシックギターの教室に通い、「禁じられた遊び」や憧れの「アルハンブラの思い出」を練習しました。
さらに、弾き語りの魅力に惹かれ、YouTubeに動画をアップするなどの活動をし、コンサート活動も開始しました。
2015年には、atomギターサークルを結成し、仲間と共に定期的にコンサートを行うことを楽しんでいます。
2013年からは地方のFM局のボランティア番組を担当させていただき、2020年には、歌や弾き語りのカルチャーセンターの講師をお願いされております。
最後は、ようやく趣味が実益につながった瞬間でした。

52歳の初ライブ!

  • 2019/11/17 22:18
52歳の初ライブ!
 
先日、11月16日(土)弘前市障がい者支援センターでatomギターサークルのコンサートを行いました。
この会場は、私が52歳で初ライブをさせていただいた会場です。中学校、高校時代、そして、大学時代とフォークソングやニューミュージックの演奏活動は行っていました。しかし、それは誰かと一緒とか、誰かのコンサートに出してもらうというレベルでした。
 
23歳で就職後、仕事や家庭を持つことの多忙さや責任のために、軟弱極まりない音楽活動(もの凄い偏見ですね)は封印してきました。しかし、48歳頃から少し、仕事にも家庭にも余裕ができ、再びギターを弾き始めました。最初はクラシックギターを習いましたが、弾き語りの魅力に再び目覚め、無謀にもYouTubeに投稿するなどを経て、再生回数が増えたことに少し自信を得て、コンサートを開きたいという欲望がふつふつと湧いてきました。
そんな中、障がい者の施設に勤務する妹の勤務関係の方から、障がい者支援センターでやってみないかと声をかけられました。
 
全くたった一人で自力でコンサートを開くというのは初めてでした。私にとっては「52歳で巡ってきた初ライブのチャンスでした。」もちろん、二つ返事でお願いしました。
告知は、センターの広報誌「ぷらっと」でやっていただきました。PCでプログラムを作成・印刷をし、2012年6月10日(日)10:00~、テーマを「日曜の朝に懐かしいフォークソングを!」として、入場無料で行いました。
このセンターは障がい者の方が、パソコンやはがき絵などの趣味や学習のための講座の活動会場なので、当日も障がい者の方々が20人ほど集まってくださり、懐かしい歌を歌い、皆さんで楽しむことができました。
「神田川」「あの素晴らしい愛をもう一度」「岬めぐり」「22才の別れ」などを歌いました。この頃はまだ皆さんで歌うというより、口ずさんでもらうレベルだったと思います。
最後には、花束をいただき感激しました。また、ぜひまたやって欲しいとの声をかけていただき、調子に乗って、その年の、 9月22日(土) テーマ:秋分の日の朝に懐かしいフォークソングを!、11月24日(土) テーマ:初冬の日の朝に懐かしいフォークソングを!と、ライブをさせていただきました。
 
これが、私の第2の音楽活動のスタートとなりました。それ以来この会場での今年のコンサートまで、毎年11月頃に、実に8回のコンサートを行ってきたということになります。
 
今年は、約40名ほどの方がおいでくださり、満席状態でした。しかし、時の流れと共に、お出でいただく方々も移り変わりました。そんな中、最初からこれまでずっと応援し続けてくださる方もいらっしゃいます。改めて感謝を申し上げたいと思います。そして、「52歳の初ライブ」から始まった、人と人の出会いの不思議さ縁の大切さを噛みしめています。

血管運動性鼻炎

  • 2019/11/06 21:16
血管運動性鼻炎
 
ここ一ヶ月ほど鼻水とくしゃみが止まらない日々が続き悩んでいました。掛かり付けの耳鼻科にも行き、アレルギーの検査をし、その薬も飲んでいましたが全く効かなかったのです。
昨日、鼻水とくしゃみに耐えかねて、再び耳鼻科へ行きました。どうも、寒さがきっかけになっているようなのでそのように話したところ、「血管運動性鼻炎」と診断されました。また、アレルギー検査も(+)であるとの診断でした。そこで、アレルギー薬と点鼻薬が処方され、今朝早速点鼻して出勤しました。また、寒さ対策として、ホッカイロの小を買い、肩に近い首に貼り、マスクもしました。
 
勤務の午前中、全くと言う訳ではありませんが、ほぼくしゃみは出ませんでした。また、鼻水も昨日までは、1分も経たないうちに水のように垂れていたのが止まっているようです。奇跡です。今まで効かなかった薬が効いている?、または、点鼻薬のおかげ?も確かでしょうが、何より、体を冷やさないようにしたことがいい方向に働いているようです。
 
いつも母から言われていたことを思い出しました。「体を冷やさないように…、冷えが体に一番良くない」と言っては、寒い日にホッカイロを渡してくれたものでした。でも、何となく疎ましく思え、空返事をしていたのでした。
 
「親の意見と冷や酒は後から効いてくる」
「海より深い母の恩」ですね。
これから、ますます寒さ身に沁む候となります。体に気をつけて過ごしましょう。

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